UT Startup Gym

Webサービスが作りたい

仕事や会社に興味も持てず、かといって辞めて何かを始めるほどの才能も情熱もなく、なんとなーく鬱々と毎日を過ごしていたら、以下のようなエントリに出会った。

もともとインターネットやガジェットは大好きだったし、調整と根回しばかりのマネジメント業務にウンザリしていた自分にはこのひとりでWebサービスを作るって言葉がとっても魅力的に思えた(うーん、あとあとそうじゃないってことを思い知るんだけどね)。

UT Startup Gymに参加します

そんなこんなでHTMLやCSSの勉強をはじめてはみたものの、そもそも作りたいもののアイデアがないもんだから、ブログをカスタマイズできる程度の知識を身につけたくらいで止まっていた。 そんなときに、いつものようにダラダラとネットを見ていたらJavaScriptハッカーのamachangがブログでこんな呼びかけをしていた。

ウェブサービスをスタートアップするための勉強会に参加しませんか?

amachangと東大生数人が中心になってWebサービスをスタートアップさせるための勉強会を開くというではないですか。そのなもUniversity TokyoのスタートアップだからUT Startup Gym。社会人、素人参加OK。

これを逃す手はないぞということで、優秀な学生さんたちやITのプロとまじって勉強会に参加することに。なので、このブログに勉強した内容を残していこうと思う。

おもいっきり素人が書いてるし、個人的な復習の意味が強いので、読み難いエントリになってるかもしれないけど、それはごめんなさい。ぼくと同じくらいの文系素人さんが何かを始めるきっかけにしてくれればよいです。

あまちゃんからのメッセージ

以下は、勉強会のはじめにamachangからみんなに送られた言葉。プログラミングとは直接関係ないけど、含蓄に富むので記録しておく。

アイデアから実装まで出来るオールマイティな人になって欲しい。技術のひとつひとつに突っ込むようなことはしない。必要なものを必要なだけ勉強する。

この勉強会はプログラマーになりたい人が集まるわけではない。あくまでスタートアップを目指す。だから言語がうんぬんとか、環境設定がなんちゃらとか細かい話はしない。

アイデアを持っている人、プログラミングが出来る人、デザインが出来る人、それぞれ得意分野を持っている人はたくさんいるけど、この全部をバランスよく持っている人は少ない。だけど、何かを始ようとするときは、飛び抜けた技術よりも全部そこそこ出来る方が有利だったりする。

泥臭いこと、延々とつまらないことをすることになる。Webサービスはそういった地味な作業の結晶。

アイデアや企画の段階では楽しくても、いざ形にしようとなったら延々とコーディングをしないといけない。ものを作るってことは意外と華やかなものではないですよーって話。

わからないことは隣の人が教えてくれる。技術の壁なんて軽く突破して欲しい。

本当の壁はプログラミングがわからないとか、アイデアがないとかいう種類のものじゃない。何かを実現しようとすると、人を動かしたり企業と交渉したりする必要が出てくる。実はそれが一番やっかいだったりする。 前回の勉強会でローンチされた「お花サプライズ」も決済システムのクレジット会社とか、実際に花を配送してくれる花屋さんとの交渉が一番たいへんだった。

ってことで次回からは実際のプログラミングの内容を書いていく予定です。

「勇気がないから行動できない」のではなく、「行動すると勇気が出る」し、「他人の目が気になるから、言いたいことが言えない」のではなく、「言いたいことを言うと、他人の目が気にならなくなる」のです。  これは、自転車とそのランプの関係にとてもよく似ています。
(Reblogged from yaruo)

「自分にはかけがえのない個性がある」と思ってる人は、全員同じ顔してます。区別がつきません。

 俳句って字数制限キツイし季語とか切れとか定型とかルールがキツイんだからただでさえ個性なんて出ない、まして先人の句を意識してたらなおさら……と考えている人も多いようですが、それは話が逆で、俳句の定型や切れや季語って、全員に制服を着せたらかわいい子とそうじゃない子が残酷なくらいはっきりわかっちゃう、というような意味であなたの言語センスが測られるのです。

Vol.47 人の作品を読まない人の作品が、みんな似ている理由:日経ビジネスオンライン (via otsune)

きっちりしたフォーマットのなかだと精密に測定される、といったところか。

(via bgnori)
(Reblogged from text-man)
どんな牌が来るかは選べない。選べるのは何を捨てるかだけ。選択というものの、これは本質ではないか。
(Reblogged from s-hsmt)
だいたいどんな人でも年間700時間(つまり1日に2時間)の勉強を5年間続ければ、世界に通用する人材に必ずなれる。しかし残念ながら、こういう発想をする人はあまりにも少ない。
(Reblogged from motomocomo)

I feel like I’m part of a generation of people who are stuck in the past and are really self-absorbed.
- 私は過去にとらわれ、とても自己陶酔的な世代の1人であるように感じる。 

I mean, we’re actually taking pictures of ourselves and posting them on Facebook, and keeping in touch with people that should have been out of our lives 15 years ago.
- 私たちは自分自身の写真を撮ってFacebookに投稿し、15年前に離れておくべきだった人々と関わりをもってしまっている。 

Obsessing over who’s getting married, who’s having kids, who’s more successful.
- 誰が既に結婚しているのか、子供がいるのか、より成功しているのかといったことにとらわれてしまっている。 

It’s like we are recreating high school every single day using social media. And it’s weired
- ソーシャルメディアを使って毎日やっているのはまるで高校時代にやっていたことの繰り返しのよう。とってもおかしく思えるのです。

あのね、ま、言いづらい話なんですけど、世の中には「頭のいい人になりたい人」というのがすごくたくさんいてね、多くの場合、その人たちが迷惑をかけるんですよ。

なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、すごく頭のいいことを考えて、みんながそれに従えば世の中がよくなると思ってるんです。で、法律や、決まりや、マニュアルをたくさんつくる。それに従えば幸せがやってくると思って。「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。

でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、「俺、じつは読んでないんですよ」とか、「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、「どうして大衆ってバカなんだろう」ってもう、涙を流しながら思うんです。「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。

でもね、彼らが言うようなことが、世の中を変えたことは一度もないんですよ。

まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、本当になにかを変えるようなものっていうのは、「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、決まりやルールは、あとからできるんです。
「皆が踊っている間はパーティーはやめられない。たとえそれが非合理的なものだったとしても。」
でも今の日本があるのってそれってそういう職種についてるのが、他の国とかだったら無知な貧民とかが与えられたどおりに作業してこなしてるような仕事を、日本だと無駄に高スペックな人材がやってるから画期的な製品や改善が生まれて成り立ってるんでしょ。

ー「世界を変える」などといちいち言わずに黙々と結果を出しましょう。

あなた自身が世界を変えるのではないことを理解しましょう

あなたがやったこと、つくったものにより世界は変わるのです。何も言わずにそれに向けて努力しましょう。

どんなクリエイティブな仕事でも95%はクソみたいな作業だ。
からだを鍛えるのに、今日や明日でなんとかなる、と思う人はいないと思うんです。腹筋でも腕立てふせでもランニングでも、その効果について、翌日に「どうなった?」と訊いてくる人もいないでしょう。でも、こころの入力については、すぐになにかを期待してしまうんですよね。
ものすごく「困ってるひと」は、憂えていないんですよ。それは、おそらく具体的なことだけが、じぶんを生かしてくれるからなんでしょうね。
しかし、自分の仕事に、感情的に入れ込みすぎてはいけないのだ。過剰に心配したり、過剰に怒ったり、過剰に悩んだり、過剰に誇ったりしてはいけない。つまり、自分の大切なリソースである『感情』を、給料分以上にすり減らしてはいけないと、この言葉は諭している。
「普通の人」から見たガンダムは、理不尽で恐ろしい。勢いに乗った超人は、その人の視点に乗っかる分にはまだしも人間として理解できるけれど、超人と同じ場所にいる普通の人から見たときには単なる自然災害であって、あれを同じ人間相手の戦いだと考えると、理不尽に過ぎて話にならない。